2023/06/01 16:26


石巻市や牡鹿半島の山と向き合って27年になりました。シカの狩猟がきっかけで山に通うようになり、同時にいろいろな山の楽しみ方を自分なりに見つけてきました。例えば渓流釣りをする時、周囲の植生や山肌の様子といった「渓相(けいそう)」を見ることで、そこの流れや わんど(*1)にはこんな水中生物がいるだろうな、だったら大物のイワナやヤマメが棲みつくな、と想像したり。皆伐(*2)によって禿山になった斜面が年月とともにどんな植物が生えてくるか、シカに喰われず残るものは何か、と森の遷移(*3)を観察したり。


例えばシェフや料理人の方に送っている野生の山椒をおもに採取しているのは、15年くらい前はササやぶだったところです。皆伐によってササが枯れて地面に日が差すようになり、ワラビが増えて一面シダの草原みたいになると、ポツンポツンと生えてきたスギの間に山椒の木が次々に出てくるんです。ただしこれらの場所も最近はウリハダカエデが増えてきているので、山椒の勢いもあと2−3年といったところでしょう。このように山に通って森の営みを見続けながら、恵を分けてもらっているのです。

※1 … 入江や流れのよどみのこと。

※2 … 一定範囲の樹木をすべて、もしくは大部分伐採する主伐の一種。

※3 … 生態学の用語で、森で例えると一定の場所の植物群落が、次々に構成内容を変えて、最終の安定状態(極相)へと移っていく過程をいう。


化学調味料、遺伝子組み替え。野のものの味わいはそのような人為とは無縁です。

自然の中にいると、食材が「いまが一番おいしいよ」と発している声を感じることができます。例えば山葡萄。あんなにすっぱい実が、和三盆糖のような最上級の甘さになる時期があります。引き算も足し算もできないくらいすごい、甘さという五味の原点。それは神様がくれる一瞬のギフトです。そしてその時を私たちは「旬」と呼ぶのかもしれません。

ワラビだってこれ以上育つと硬くなる、茎が太いけど手でぽきんと折れるやわらかなタイミングがある。きのこだって今日採取しないと明日には虫が喰い尽くしてしまうかもしれない。雨がふったら溶けてしまうかもしれない。まだ育つのを待つかどうかの見極めが難しい。

生命力に満ち溢れ、輝いている旬のもののおいしさは、他の生物に食べてもらうことで種を運んだり、蜜をあふれさせて昆虫を媒介に受粉させたり、生き物たちが子孫を残すために必要な一瞬なのかもしれません。

それは決して取り尽くすものではなく、一度くらいのご飯になればいいな、というくらいのささやかな楽しみ方でいただくもの。そのような気持ちであれば細く長く自然との関係を持続できるのではないでしょうか。


 シカと向き合い、山と向き合うことで得られたさまざまな発見や楽しみ方を、これからはさまざまな方に伝えていきたいと思っています。シカの角や革を使ったクラフトWS、植物や山の楽しみ方を知るWS、そして猟師の学校。生き物と人との関係性を考えながら、バランスよくものを見ることのできる「森の賢者」の目線を持つ人たちを育てる場を、この地でつくっていきたいと思います。